服は似合わせろ
服が似合う・似合わないは、体系・体格、顔の濃い・薄い、時代背景などで決して左右されるものではないと思う。思いたい。では何で決まるのかと言うと、個人のイメージで決まると思う。思いたい。個人のイメージとは、体格・体系、顔の濃い・薄いや犯罪経歴などで決まるものではない(一部除く)。例えば単純に第一印象でイメージが固定する場合もあるし、もっと単純に毎日の行動で決まる場合もある。
例えば、ある種の服だけを毎日着続けるとしよう。それを見る人が、出会ってまだ間もない人であればあるほど、その人のイメージの中に、その種の服装が定着する。要するに、似合っているということだ。多分。これが、長い付き合いのある人の前で、急に今までと違う格好をしてみると、意外と似合わないと言われたりするものだ。その他に言われることと言えば、新鮮だとか、どうしたの?とか、おはようとか、似合いすぎる、パン買ってこい、くらいのことしか言われない。
自分の場合を例に出してみよう。俺はアロハシャツを着始めて、五年は経つ。一番似合わないと言ったのは、親兄弟だった。ところが、それとは裏腹に、それ以後出会った人に言わせれば、似合う、派手、似合いすぎる、どこの国の人?サトウキビ畑にいそう、怪しい香港の人買い、などの意見が上がった。似合わないアロハが見付からないとまで言うヤツもいる。アロハを着る前から知り合っていた友人たちも、「あぁ、秋葉はこういう路線進んでんだ」と認識しているようになっている。「何かあったんだろうけど、そっとしておいてやろう」と思っているヤツもいたようだが、聴かなかったことにした。
結果として、第一に今までがどうであれ、好きな服が似合いたいのであれば、そういう服を着続ければ良い。そうすれば第二に、それまでの自分を知っている人のイメージも段段にそういう服装が似合うイメージに変化するし、何よりそれ以後に出会った人には、初めからそのイメージを定着させることが出来る。結局、似合う・似合わないは、力技でいくらでもねじ伏せられるのだ。この理屈の反対側から責めれば、似合いたくない服を似合わないイメージにしたければ、そういう服を着なければ良い。ちなみに俺は、別に似合わなくてもいいものを、生涯で初めて装着したとき、似合うと言われた男でもある。ちなみにそれは褌だった。
要するに、どんな優男でも着続ければ特攻服が似合うようになるし、どんなおっさんでもウェディングドレスが似合うようになるし、寝たきりの婆様でさえ着続ければ鎧兜が似合うようになる。多分。着続けることが大事なのだ。
ちなみに俺にアロハシャツが似合う要因はもう一つ特殊なものがあった。俺は、何を隠そう、ジェイク・シマブクロという、世界的に有名なウクレレプレイヤーにそっくりなのだ。ある人は、「世界に三人は自分のそっくりさんがいるって言うけど、お前の場合は、そのうちの一人が絶対にジェイク・シマブクロだな」と言う。俺も初めて見たときは、自分かと疑った。俺の持っているアロハシャツを着ていたのだ、無理はない。何しろ本人が言うほど、ハワイのウクレレ弾きに似ているのだ、アロハシャツが似合って当然なのだ。俺とアロハシャツが結びついたのは偶然ではなく、必然である。
でもハワイには行ったことがない。誰か連れて行ってくれ。
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